来歴
ジュラルミンは、1906年ドイツのデュレン (Düren) で、ウィルム (Alfred Wilm) によって偶然に発見された。このデュレンとアルミニウムの合成語が、ジュラルミン (duralumin) である。また、ウィルムによって、ジュラルミンの時効 (金属)|時効硬化現象が見出された。もともとは薬莢の材料として、銅と亜鉛の合金の黄銅を用いていたが、「もっと軽いアルミニウムを銅と混ぜたらよいのではないか」という発想から得られたものである。結果としてその試みは失敗したが、思わぬ大きな成果を得た。1910年代、ツェッペリン飛行船やユンカースの輸送機への導入を機に、航空機用資材として広く用いられるようになった。日本の零式艦上戦闘機をはじめとする軍用航空機にも、住友金属が開発した超々ジュラルミン (ESD) 等のジュラルミン材が多用された。もっとも、このジュラルミンには水、特に海水に対する耐食性に問題があり、飛行艇のフロート(舟といった)の喫水下部分には、「銅を含まないアルミニウム材」を使用せねばならなかった。第二次世界大戦後、航空技術の禁止で余剰となったジュラルミン部材が、川崎航空機と縁の深い川崎重工業車両カンパニー|川崎車輌が製造を担当した日本国有鉄道|国鉄向け新製鉄道車両の一部(国鉄63系電車や国鉄オハ35系客車|国鉄オロ40形客車など)に使われ、特に63系電車の場合は「ジュラ電」などと呼ばれて注目を集めたが、耐食性が低い材料である上に塗装を施さなかったことから、電装品の絶縁が不十分であったことなどもあって急速に腐食が進行し、このため製造後わずか7-8年程度でいずれも鋼製車体に置き換えられ、短命に終わっている。また、東京駅の戦災復興に際しても、軽量であることからドーム部の骨組にジュラルミン材が使用された。日本が戦後唯一製造した国産旅客機YS-11は総ジュラルミン製である。