ステンレス鋼【歴史】

ステンレス鋼について

ステンレス鋼 / 特徴 / 用途 / JISによる分類 / 表面仕上げ / 取り扱い上の注意 / 流通について / 歴史 / 呼称 / 出典 / 関連項目 / 外部リンク






歴史


インドのウーツ鋼


欧州では11世紀末から170年に渡って何度も派遣された十字軍の帰還と共にもたらされたダマスカス剣の製造方法が解らずにいた。ダマスカス剣の鋼はインドで作られたウーツ(wootz)鋼が中東までペルシャ商人によって運ばれ製作されたものであった。この剣にはダマスク(Damask)と呼ばれる日本刀の「錵」(にえ)と同様の渦状の紋様が刃に浮かび上がっていた。14世紀にはイギリスでも鉄鋼によって刃物類が生産されるようになったが、当時は加熱技術が未熟なために、鍛鉄や錬鉄と呼ばれる低炭素鉄の棒を木炭中で2週間に渡り加熱し続けて融点以下の雰囲気中で炭素をこの鉄棒素材に浸炭させることで、表面と内部で炭素濃度が異なり、表面が泡立った泡鋼(あわこう、Blister)と呼ばれる鋼鉄素材を得ていた。18世紀に英国がインドを植民地化すると古代からのインドの鉄鋼技術に関心が高まり、特に旧デリーのイスラム寺院の庭に立つデリーの柱の驚異的な耐候性とウーツ鋼に興味が集中した。ドイツ系イギリス人の時計職人、ベンジャミン・ハンツマン|ハンツマン(Benjamin Huntsman、1704-1776)は金属バネの品質の不満から自ら良質の鋼の開発を始め、1740年に新型溶解炉や燃料用コークス、耐火ルツボ、ガラス粉末の使用などを新たな技術を開発して「ルツボ鋳鋼法」を作り出した。これにより鋼は英国でも量産出来るようになったが、まだダマスカス鋼には劣っていた。ロンドンの刃物師、ストダート(James Stodart、1760-1823)は正確な焼戻しによってウーツ鋼の硬度をさらに高め、英国製造の鋼よりウーツ鋼を輸入すべきであると提案した。東インド会社はインドのウーツ鋼を英国へ輸入し、ストダート自身も英国のルツボ鋳鋼技術の向上に取り組んだがウーツ鋼を越える製品は得られなかった。この頃、フランスのルイ=ニコラ・ヴォークラン|ヴォークラン(Louis Nicolas Vauquelin、1763-1829)は当時「シベリアの赤い鉛」と呼ばれていた鉱物から新種の灰色の金属を発見し、論文『シベリアの赤い鉛とそれに含まれている新しい金属の研究』を発表し、クロム(Chr?me)と命名した。

高クロム鋼の発明


後年、電磁気学の父として有名なマイケル・ファラデー|ファラデー(Michael Faraday、1791-1867)は、分析化学者として有名になりつつあった1815年からは、英国王立研究所で英国国内でウーツ鋼を製造する技術を研究していた。ウーツ鋼からは微量のシリカとアルミナが検出され、1819年4月にウーツ鋼から作られたダマスカス剣の紋様は土類成分によって生じるとする論文『ウーツ、すなわちインド鋼の分析』を発表した。国産鋳鋼に微量のシリカとアルミナを添加したが、ウーツ鋼にはならなかった。1819年夏には成分分析を委託されていた製鉄所に近い銅精錬所で銅が金や銀との合金となることで硬度が増すことを知り、鋼にも応用できないかと考えた。ファラデーは研究所でストダートと共に、1770℃以上まで加熱できるようにルツボを改良し、白金も含めた貴金属類を鋼と合金にする研究を始めた。ニッケル、銀、白金、ロジウム、銅、錫との合金を次々に生み出しては性状・特性を測定し、1820年に連名で『改良の目的で行った鋼合金の実験』を発表した。地元英国はもとより、特にフランスで大きな反響があった。その後も鋼と貴金属との合金の研究を続け、鋼銀合金がウーツ鋼を越える硬度の金属として量産が始まった。その後、1920年代にファラデーは研究の舞台を物理学に移していった。フランスの鉱山技師、ピエール・ベルチェ|ベルティェ(Pierre Berthier、1782-1861)はファラデーとストダートの論文を元に、まだ誰も試みていない脆い金属であったクロムの鉄との合金を試みた。当初、炭素濃度の高い鋼で合金を作ったため、非常に脆かったが硬度は高く、王水でも容易に侵されない耐酸性を示した。これが最初のフェロクロムである。次に炭素1%程でクロム1.0%と1.5%のフェロクロムを作り、ナイフとかみそりに加工したが良好な切れ味と共にダマスク紋様が現れた。1921年に論文によってフェロクロムとその耐酸性を示したベルティェは、その後、ボーキサイトをアルミの原料として発見したことで、より有名となった。ウァラデーはベルティェの論文を読んで、すぐさまクロム鋼を実験し自身の発表直前の論文『鋼の合金について』に加えた。父の製鋼工場を継いだ、英国、シェフィールドのR.A.ハドフィールド(Robert Abbott Hadfield、1858-1940)は1878年のパリ万博でマンガン鋼を知ってから研究を始め、高マンガン鋼の系統的な分析を行なって1882年に高マンガン鋼の公演を行なった。その後、鉄とシリコン、鉄とアルミニウム、鉄とクロムに関する研究を行った。鉄とクロムの研究過程で、合金鋼の権威的研究者の誤った「クロムは鉄の耐酸性を劣化させる」という報告によって、クロム鋼の耐酸性を見落とし、同じシェフィールドのハリー・ブレアリー|H.ブレアリーにクロム13%、炭素0.3%の刃物用ステンレス鋼を発明されて名誉を逃した。これ以前にも前述のようにフランスのベルティェが「高クロム鋼は王水でも容易に侵されない耐酸性を持つ」と論文発表していたが、耐酸性クロム鋼の発明者はベルティェでもハドフィールドでもなく、ブレアリーとなった。ハドフィールドはその後も会社経営とともに研究を続け、1908年にはナイト爵を、1917年には準男爵に叙せられるなど、活躍した。

鉄・クロム・ニッケル合金の発明


鉄・クロム・ニッケル合金の発明は、ただ1つの発明過程によって得られた1種類の合金ではなく、ヨーロッパの複数の国・人物によって行なわれた多数の改良や発見を経て得られた各種の鉄合金の製作の積み重ねであった。個々には具体的な合金比率当は省くが、以下の実験と研究の過程で作られた合金の中には今日でも使用されている鉄・クロム・ニッケル合金の含有比率を備えた金属が多数得られていたことが、論文中や後の分析で明らかになっている。このことが、単一の研究結果だけを指して特定の合金の発明・発見とは云えない理由となっている。最初は1894年にドイツの兵器メーカー、クルップ社がCr2.0%、Ni3.5%、C0.35%のクロム・ニッケルの鉄合金を強靭鋼として防弾鋼板に開発・使用した。フランスのギレー(Leon Alexandre Guillet、1873-1946)が1903年と1904年、1906年に鉄・クロム・ニッケル合金を含む各種鋼合金に関する3つの論文を発表した。ギレーは化学成分と熱処理によって金属組織が変わる事は示したがステンレス鋼の最も重要な特性である「不動態」に関しては記述しなかったため、発明者と呼ばれることは一部を除いてあまりない。彼の論文でのクロム鋼の組織図に関する概念が後のクロム鋼研究の発展に大きく寄与した。フランスのギレーと同じ工芸学校の教授職に5年後に着いたポートヴァン(Albert Marcel Portevin、1880-1962)は、ギレーの研究を引き継いでさらに詳しくギレーの作った金属サンプルを調べて物性などを研究して論文に発表し、好評を得たが、先輩と同じく耐蝕性に関する観点ではこれらの金属を見ることはなかった。組成と焼き入れ、焼鈍しによって硬度がどのように変化するかについてが、この時点での研究の中心であった。ドイツのアーヘン王立工科大学の研究生だったモンナルツ(Philipp Monnartz)は1911年に工学博士のための学位論文として提出・発表した中で、鉄クロム合金の耐酸性に関して不動態によるものとして明らかにし、高い耐蝕性を持つ高クロム鋼の重要性を示して大きな反響を呼んだ。その後、多くの研究論文が鉄クロム合金の耐酸性と不動態に関して発表されるなど、ステンレス時代が開くきっかけとなったが、功績者であるモンナルツ自身には工学博士と認められた以上の経歴が残されていない。この後、鉄・クロム・ニッケル系の合金に関する多くの研究成果を残すのは、ドイツのクルップ第2研究所に1896年入社のシュトラウス(Benno Strauss、1873-1944)とその助手として13年後に入社したマウラー(Eduard Maurer、1886-1962)であった。両者はそれぞれに研究を行い、クルップ社は彼らの研究から得られた合金に対していくつかの特許を取得した。すべての発明がシュトラウスのものであるとされたために、マウラーは1925年に異議を唱え、その後、発明者としての功績に関して、公開された書簡論争にまで発展した。英国シェフィールドのH.ブレアリーは1913年に所長として務めていた研究所の雇い主であったファース社とブラウン社に13%クロム鋼が高い耐蝕性を示すと報告したが、サンプルがあまりに硬くて研削と鍛造に向かないと両社は興味を示さなかった。1914年から彼はチーズナイフ等の形で錆びない金属の実用品を友人たちに配るなどしたのち、それが評判となってからは
ファース社は自社で金属材料を販売しながら、ブレアリーは疎外するようになった。このため、彼は1915年にブラウンベリー社に移って第一次世界大戦に使用される航空機エンジンのクランクシャフトなどを作る製鋼所長となった。その後、1916年に特許に明るい英国人マドックスの尽力でステンレス刃物のカナダと米国の特許を取得し、1917年には日本とフランスでも特許を取得した。ファース社では1914年に、すでにドイツとイギリスで同様の特許を出願済みの独クルップ社との間で英国での特許に関して交渉を行なっている間に、英国では多くの製鋼所が生産を始めており、特許を申請しようにもすでに周知の事実となってしまっていた。こういった事情によって、ステンレス鋼の発明者として最初に英国のブレアリーの名が挙がるが、彼は自身の独自研究の結果掴んだ名誉というよりも、ギレーやポートヴァンらの見過ごしていた耐蝕性というステンレス鋼の特徴をほぼ最初に見抜いた点で優れ、また、雇用企業がステンレス鋼の長所を無視してもあきらめずに世間に製品を示し続けた点でも栄誉を受けるに値する鈴木隆志著 『ステンレス鋼発明史』 株式会社アグネ技術センター 2000年8月25日初版第2刷発行 ISBN4900041807。

Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL

ステンレス鋼関連商品


ステンレス鋼リンク


コメントピックアップ!

冷間圧延後光輝熱処理とスキンパスを行った、きれいな光沢のある仕上げ。意匠性を求められる部材に用いられることが多い。2B仕上げに次いで一般的。  2BまたはBAの素材に、F180前後の研磨加工をした仕上げ。研磨材としてはもっとも一般的なもので、厨房や建材用などに幅広く用いられる。  2BまたはBAの素材に、髪の毛状の細い研磨目を連続してつけた仕上げ。エスカレ...



Copyright(c)2005-2006 ◆クラフト材料大事典◆ All rights reserved. Template by LinkFly

Category Menu

  • 主なクラフト材料
  • アクリル樹脂
  • アルミニウム
  • エポキシ樹脂
  • ガラス
  • クリスタルガラス
  • ゴム
  • シリコーン
  • スターリングシルバー
  • セメント
  • セラミックス
  • ちりめん
  • はんだ
  • ビーズ
  • プラスチック
  • ボタン
  • リリヤン
  • 金
  • 銀
  • 銅
  • 針金
  • 鉛フリーはんだ
  • 段ボール
  • 粘土
  • 発泡スチロール
  • 綿織物
  • 皮革
  • 和紙
  • 木材
  • 石膏

    その他の材料ピックアップ
  • ABS樹脂
  • 硬度 (水)
  • レース編み
  • 炭素鋼
  • 綿
  • 動物繊維
  • コンスタンタン
  • 砂利
  • ポリビニルアルコール
  • ケミカルレース
  • 飛行石
  • クロム鉄鉱
  • ナイロン
  • カラマツ
  • マグネシウム
  • 毛 (動物)
  • 模造紙
  • 骨材
  • チンワルド雲母
  • グラファイト
  • アレキサンドライト
  • 長石
  • 形鋼
  • 巴林石
  • ポリウレタン
  • 非鉄金属材料
  • 羽二重
  • ペギミンH
  • テフロン
  • メノウ
  • 鉄筋コンクリート
  • 水ガラス
  • 黄鉄鉱
  • 高吸水性高分子
  • カーボンナノチューブ
  • 合羽
  • デニム
  • 輝石
  • 綾織り
  • 西陣織
  • 食塩水
  • ジュラルミン
  • クニフェ
  • 板紙
  • 洋白
  • 超硬合金
  • 絹
  • ダイリチウム
  • ステンレス鋼
  • センダスト
  • スピーゲル
  • モルタル
  • 仮想水
  • フェノール樹脂
  • 織物
  • 毛布
  • モヘヤ
  • ウール
  • カオリナイト
  • 超軽水
  • 黒曜石
  • 硝石
  • 蛍石
  • コーデュロイ
  • シルミン
  • 誘電体
  • ハステロイ
  • 折り紙
  • 金属
  • トパーズ
  • オパール

Site Menu

  • ◆クラフト材料大事典◆
  • ステンレス鋼
  • 登録型リンク集
  • サイトマップ
  • メール
  • 日記
  • Open Directry Project