変遷
崇徳天皇の時代に、多屋命(おおやのみこと)という人物が三野(美濃)の国から久慈郡に移り住み、長幡部?(ながはたべのあしぎぬ)と呼ばれる織物を始めた。?とは太い絹糸で織った粗布のことである。それが結城地方に伝わり結城紬となったとされる(尚、結城という地名は、鎌倉時代にこの地域を支配始めた結城氏の姓に由来する)。?は「常陸紬」と呼ばれ、1322年(延元元年)に発行された『庭訓往来』で諸国の名産品の一つとして名が記されている。1601年(慶長6年)にこの地方の代官となった伊奈忠次|伊奈備前忠次が、京都・信州における織物技術を取り入れるなどして改良を行い、知名度を高めた。結城紬の名を確認出来る最古の書物は、1638年に刊行された『毛吹草』である。1712年には最上級の紬として『和漢三才図会|和漢三才図絵』に紹介された。1865年に初めて絣の結城紬が制作される。1873年にはウィーン万国博覧会に出品され、世界的に名を知られるきっかけとなる。1953年、平織と縮織が茨城県指定文化財一覧|茨城県無形文化財に指定される。その後1956年4月24日に重要無形文化財へ指定(平織のみ)。同時に従事者6名が技術保持者に認定された。1961年に結城市を中心とした各市町村により、財団法人重要無形文化財技術保存会が設立された。1974年に日本放送協会|NHK連続テレビ小説|朝の連続テレビ小説で放映された『鳩子の海』で一部結城市が舞台となり、結城紬の知名度も高まった。1976年文化財保護法の改正により、技術保持者6名の認定が国に返上され生産者団体への認定に変更となる。171名で本場結城紬技術保持会が設立となった。1977年3月30日には経済産業指定伝統工芸品として承認された。また同年、結城紬伝統工芸士が認定された(この年の認定者は染2名、絣くくり6名、織り6名であった。以後規定を満たした者が順次認定されている)。1986年には栃木県伝統工芸品、1988年には茨城県郷土工芸品の指定を受けている。2004年、品質検査の際に重要無形文化財の条件を満たしていない反物にも「重文指定」証票が不正交付されていたことが明らかにされた。文化庁が保存会に改善を指導し、翌2005年6月3日分の検査合格品から全反物が「重文」表記のない証票へと変更となった。