起源
江戸時代以前においてはさまざまな原稿の多くが草書・連綿体で書かれていたために、それを記すための用紙が一字ごとの切れ目に対応する升目を持つことは、無意味であるのみならず、邪魔ですらあった。したがって、この時期においては、ごく特殊な例外を別にすれば、せいぜい行の乱れが生じないように縦の線のみを刷った掛紙を用いる程度であった。現存するもっとも古い原稿用紙は、頼山陽が『日本外史』を記すのに用いた升目様の用紙であったとされる。これは同書が漢文によって記された、したがって一字一字を区切って書記すのに適した文章であることと深い関係があるといえるだろう。20字×20行の400字詰様式の起源は、塙保己一が編纂した群書類従の版木であるとされている。原稿用紙の使用が一般的になったのは、明治時代中期に入ってからのことで、現在の原稿用紙の形状に近いものとしては、内田魯庵のつくった19字×10行の190字詰用紙がもっとも早い時期に属するものであると伝えられる。これは板木に変わって活版印刷が一般的になるなかで、新聞・雑誌などに原稿を掲載する際、字数が正確に計量できることが最重要視されたことと関係する。魯庵の原稿用紙は作家のあいだでひろく人気を呼び(漱石も愛用者の一人であった)、これ以降、400字詰原稿用紙を使って原稿を書くことが一般的になったという。また一説には原稿用紙の使いかたがいい加減で、分量が少ないことに業を煮やした名編集者瀧田樗蔭が、原稿用紙の升目を守らない作家に対して、400字詰に正確に換算した分量だけの原稿料しか払わなかったところ、どの作家もいっせいに原稿用紙を使って、升目どおりに原稿を書くようになったという文壇ゴシップもある。作家の肉筆原稿には完成稿至るまでの草稿もあり、本文を確定するまでの推敲や構想のメモなど創作過程のプロセスが記録されており、作家の交友関係を示す書簡とともに作家研究や作品研究の参考となる貴重な文学資料となっており、文学館においても収集されている。